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大阪高等裁判所 平成9年(う)735号 判決 1998年11月20日

本籍

長崎県佐世保市戸尾町一九一番地

住居

京都市左京区修学院檜峠町五〇番地の三

弁当製造販売業(元会社役員)

古川義信

昭和二六年五月一四日生

右の者に対する相続税法違反被告事件について、平成九年七月三日京都地方裁判所が言い渡した判決に対し、検察官及び被告人からそれぞれ控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官井村立美出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年及び罰金一億五〇〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から五年間右懲役刑の執行を猶予する。

理由

本件各控訴の趣意は、京都地方検察庁検察官小池洋司作成名義及び弁護人瀧賢太郎作成名義の各控訴趣意書に記載されたとおりであり、検察官の控訴趣意に対する答弁は弁護人瀧賢太郎作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一  被告人の控訴趣意について

論旨は、事実誤認を主張し、要するに、原判決は、「被告人は、井上悠らと共謀の上、実際の相続財産の全課税価格が一九億四五二三万一〇〇〇円で、これに対する相続税額が一一億四四八五万四七〇〇円であるのに、相続財産の課税価格が二億七一六九万二〇〇〇円で、これに対する相続税額が六〇一五万五八〇〇円である旨の内容虚偽の相続税の申告書を提出し、もって、不正の行為により正規の相続税額一一億四四八五万四七〇〇円との差額一〇億八四六九万八九〇〇円の相続税を免れた」旨認定しているが、被告人は、五億円を納税額、四〇〇〇万円を手数料と考えて、井上悠に五億四〇〇〇万円を渡したのに、同人らがこのうちから約四億四〇〇〇万円もの金額を詐欺的行為によって領得した上原判示の低額を申告したものであるから、(1)被告人が予定していた約五億円の納税額を下回る「相続税額が六〇一五万五八〇〇円である旨の内容虚偽の相続税の申告書提出行為」は、その差額の約四億四〇〇〇万円が被告人にとって詐欺被害というべき他人の行為によって相続税納付に使われなかったことによるものであるから、被告人の不正行為と相当因果関係はなく、本件の構成要件ではない、(2)井上悠らとの共謀関係も「相続税額を約五億円とする内容虚偽の相続税の申告書を提出する」という限度において成立するにとどまる、(3)被告人の故意も「相続税額を約五億円とする内容虚偽の相続税の申告書を提出する」との認識の限度にとどまるのであって、これらに反する認定をした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、関係各証拠によれば、被告人は、半額程度の納税ですむとの井上悠(以下、井上という。)の誘いに乗り、部落解放同盟京都府企業連合会(以下、京企連という。)を介して相続税の申告をすることにし、手数料込みの納税額として五億四〇〇〇万円を井上に預けてこれを依頼したものの、その際に井上らに対する手数料額の取り決めはなく、被告人において当初五億円位が納税額で四〇〇〇万円位が手数料と漠然と考えてはいたが、その後の経過で納税額は五億円より下がるかもしれないとの予想はしていたところ、右依頼はその後井上から坂井清二、青木康、松島聖悟と経由し、最終的には大野征二が原判示相続額六〇一五万五八〇〇円の申告書を税務署に提出するに至ったもので、申告額がかくも低額になったのは、前記預り金のうちから井上以下の仲介人らが被告人に内密にそれぞれ多額の手数料を中抜きした結果であって、被告人においては、かかる経過をたどって申告がなされることは必ずしも予想しておらず、またその申告額は被告人の当初の予想をはるかに下回るものであったこと、しかしながら、被告人の申告額についての認識は、当初井上から誘われた段階で半額程度の納税ですむと聞かされたというだけのものであって、その税額圧縮の方法、申告手続の手順と関与者、具体的な納税額等を確認することがなく、これを井上に一任しており、現実に大野によって税務署に提出された右申告書による納税額についても、結果的にこれを受け容れていることが認められる。そうすると、被告人において井上らのなす申告額及びその申告の経過を所論のように限定して考えていたとは認められず、したがって、所論(1)の申告書提出行為は、それが被告人の井上らに対する相続税申告の依頼行為に起因し、かつ経験則上も被告人にとって予見可能なものであったと認むべきであるから、被告人の右依頼行為と本件申告書提出行為との間に相当因果関係があることは明らかであり、所論(2)の共謀関係及び同(3)の故意の点についても、その範囲は所論の限度に止まらず、本件申告書提出行為について成立するものというべきである。これらの点の原判決の事実認定には誤りはなく、論旨は理由がない。

二  検察官の控訴趣意について

論旨は、量刑不当を主張し、要するに、被告人を懲役三年及び罰金一億二〇〇〇万円に処した上、五年間右懲役刑の執行を猶予した原判決の量刑は、懲役刑の執行を猶予した点で著しく軽きに失して不当である、というのである。

そこで記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、本件は、京滋ヤクルト販売株式会社専務取締役等の役職にあった被告人が、義母田中ツユの死亡により、その遺産である株式、債権、不動産、預貯金など(課税価格合計一九億四五二三万一〇〇〇円)を単独で相続することになり、その相続税申告をするに当たり、他から紹介された前記京企連などの同和団体に所属する前記井上に脱税の相談を持ちかけたところ、同人から「京企連を通じて申告すれば、税金は半分位ですむ。」などとの誘われたことから、この方法により相続税を大幅に免れようと企て、井上並びに同人から取り次ぎを受けた京企連東三条支部企業対策部長の坂井清二(以下、坂井という。)その他坂井が依頼した京企連以外の者らと順次共謀し、最終的には右翼団体に所属する大野征二が相続財産の大部分を除外した上、その課税価格が二億七一六九万二〇〇〇円で、これに対する相続税額が六〇一五万五八〇〇円である旨の内容虚偽の相続税の申告書を提出し、もって、不正の行為により正規の相続税額一一億四四八五万四七〇〇円との差額一〇億八四六九万八九〇〇円の相続税を免れたという事案である。

その量刑事情についてみるに、(1)原判決も(量刑の理由)の項で指摘するとおり(以下、原判決の認定説示ないし指摘はすべて右項におけるものを指す。)、その脱税額自体が巨額であり、ほ脱率も九四・七五パーセントの高率に達していること、(2)その脱税の動機は、相続財産をできるだけ確保することによりこれを基盤とする自己の社会的地位ないし名誉を維持発展させようとしたもので、畢竟自己中心的な財産的利欲に眩んだものであること、(3)被告人自身の相続に関する犯行である点で共犯者中の中心的役割を果たしており、かつその脱税による利得は他の共犯者らのいわゆる手数料を遙かに越えていることなどに徴すると、その犯情は悪質で、罪責を軽視できない。

しかしながら、他方で、(4)原判決も認定説示するとおり、被告人は、井上の甘言に乗り五億四〇〇〇万円を同人に託して京企連を介する申告を依頼し、当初五億円程度は納税されるものと考えていたのに、井上ら介在者によりこのうちから巨額が手数料名目で中抜きされた挙げ句に極めて低額でしかも京企連を経ずに申告されるに至ったことは、被告人が具体的に予想しなかった事態であり、井上らに逆に利用されたとの側面も否定できないこと、(5)被告人が本件犯行を決意した背景には、京企連を介した申告は正規の額の半分位でも税務署が調査をせずに通してくれるとの井上の巧みな説明を受けたことに加えて、自らの顧問税理士がそのような申告は脱税であるとして反対しつつも、現実には同和団体を介した低額の申告が通用しているらしい旨及びそれを利用しても税務署とのトラブルの懸念はまずないと思う旨話し、強い制止の態度までとらなかったことなどの事情があって、これらにより意を強くした面もあり、被告人の不正を犯す意識を鈍らせ反対動機が十分に働かないまま京企連を介した相続税の申告を井上に依頼するに至ったこと、(6)原判決も指摘しているとおり、被告人は本件発覚により、本件申告による納税額に加えて、修正本税約一一億二五〇〇万円余、重加算税及び過小申告加算税約三億九〇〇〇万円余、延滞税約二億四〇〇〇万円余の合計約一八億二〇〇〇万円余を支払う羽目となり、さらにその支払いのための財産処分に伴う四億円近い高額の譲渡税などの負担も強いられ、しかもそうした財産的喪失のみならず、亡母の夫田中英敏の事業の後継者となるかねてからの願望をも失う結果となり、他方で、井上以下の共犯者らに手数料名目でほしいままに横領された約四億八〇〇〇万円はほとんど被告人に返還されないままとなるなど、身から出た錆とはいえ、厳しい物心両面の制裁を受けたこと、(7)被告人に前科はなく、これまで通常の社会人家庭人として特に問題なく過ごしてきたことなど、被告人のために酌むべき諸事情も認められる。

以下、所論にかんがみ若干の付言をする。

所論は、本件動機の点に関し、原判決が「決して金銭上の利益を殊更に得て、自らの懐に多額の財産を残したかったからではなく、自らが多数の従業員から会社後継者となることを待望されている中で、その期待にそう道を選ぼうとしたため、巨額の相続税を支払うことになれば、自社株を残せなくなってしまうと考えたことが本件脱税を犯すに至った最大の理由である」と認定したのは誤りであり、本件の動機は、専ら金銭的利欲に基くものであると主張する。関係証拠によれば、確かに、被告人は、本件の相続税の申告に当たり、亡母の夫の築いた京都ヤクルト株式会社や京滋ヤクルト株式会社の各自社株を売らずにすむ方法はないかと思案しているうちに半額程度の納税ですむとの井上の誘いに乗った経過のあることが認められる。しかしながら、関係各証拠によれば、被告人は一旦は井上に申告を頼んだ後、まだその撤回が間に合う時期に、正式に税額を計算し直してみると、以前に計算した額より少ない額で収まることが分かり、その額ならば、相続した預貯金やヤクルト本社株の売却による資金で納税は賄え、自社株を処分しなくてもすむことが分かったのに、井上への依頼を撤回することなくそのままにしていたこと、井上に示すべく相続財産資料の預金リストを作成した際、国税当局に分からないだろうと考えて郵便貯金などを当初から除外していたこと、さらには林正税理士に京企連を介しての申告の決意を告げた際「五億という金は私一代で稼げる金じゃないですよ。」とその金額に執着する心情を語っていることなどが認められ、これらからすると、本件遺産をできるだけ確保したいとの財産的利欲それ自体が被告人の本件脱税の主たる動機と認むべきであり、被告人において自社株を確保することは、なるほど本件脱税を考えるきっかけの一つであったとまでは言えても、決して主たる動機とは認められず、ましてや、自らの利欲を離れて従業員らのために脱税を考えたかのような認定説示は到底是認しがたいものというほかなく、右所論は理由があるというべきである。

次に所論は、前記(3)の点に関し、被告人は本件を主導した主犯であり、共犯者中最も多額の利益を得ているので、共犯者中被告人の刑責は最も重いと主張する。しかしながら、本件共犯者の井上は、巨額の手数料を手中にする意図を秘したまま「大阪国税局長と解同中央本部及び大企連との確認事項」なる書面を示すなどして、被告人に京企連を介した申告が税務署から摘発されることがない旨言葉巧みに説明して被告人がこれに応じるように仕向け、なお半信半疑の被告人からの、万一問題になった場合に責任をとる旨の念書がほしいとの要望にも、何ら責任をとり得る立場ではなくその気持ちもないのに、「いかなる国税当局の査察も私共京企連と井上が責任をもって対処し、古川義信氏に一切迷惑をかけないことを誓約する」旨の念書を差し出すまでして被告人を安心させ、ついにその誘いに乗った被告人から納税資金等五億四〇〇〇万円を受けとるや、そのうちから一億四〇〇〇万円を領得し、残りの四億円を手数料込みの納税額として坂井に渡してその後の手続を託し、既に多額の中抜きをしたことを知らない坂井からさらに六〇〇〇万円を手数料名目で受けとり、被告人から預かった資金のうちから合計二億円余もの巨額な手数料を内緒でわが物とした上で、その後の成り行きを無責任にも放置したのである。また坂井は、井上から託された分からさらに自らの手数料を差引いた残余で申告をして貰おうと考え、京企連の幹部に正規の相続税額の「二、三割でやって貰えますか。」と問い合わせたところ、これを断られたにもかかわらず、自らの利欲目的のためなおも大阪の同和団体を介して手続を進めようと企て、その方面に詳しい青木康に手数料込みの一億五〇〇〇万円で申告してほしいと頼んで後の手続を任せ、結局自らは井上から実質託された約三億円のうちから二億円に近い巨額の手数料を密かに手中にしたのである。以上の経過にかんがみると、井上及び坂井は、相続税を少しでも多く免れたいという被告人の要望に乗じて自己の利得を図り、被告人に半額程度の納税ですむと説明して、これに相当する金額に若干の手数料を加算した金員等を被告人から預かりながら、その大半を両名がほしいままに領得したうえ、爾後の手続を次の仲介者に引き継いで放任することにより、被告人をいわば食い物にしたもので、犯情は極めて悪質といわなければならない。もとより、そもそもことが被告人の相続税の問題であって、井上や坂井の甘言に乗り、これを利用して巨額の相続税を免れようとし、その申告の依頼に踏み切った被告人の決意がすべての根源であることからすると、被告人が本件共犯者中で中心的役割を果たしたとの評価も可能ではあるが、右両名によって税務署の優遇措置を信じ込まされたことが被告人の右決意を誘発した大きな動機づけとなっていること、本件脱税額が被告人の当初の予想をはるかに上回る一〇億円余の巨額に達したのは、右両名が被告人からの右預り金の大半をほしいままに領得したことによるものであること、右両名は被告人からの前記多額の利得を手中に収めたままになっているのに対し、被告人は前記のとおり自業自得とはいえ、その相続財産の課税価額を上回る金員を支出して、当初の予想額を超える本件脱税に伴う国への納税義務を完遂していることをも併せ考えると、井上、坂井に比べて被告人の刑責が最も重いとは必ずしもいえないと考えられる。

次に所論は、前記(4)及び(5)の点に関し、井上が説明し被告人が信じたという「国税当局の同和団体に対する優遇措置」は、仮にあるとしても、単に脱税見逃しの優遇措置に過ぎず、被告人は、同和団体を通じての申告が脱税となることを十分認識していたのであるから、原判決が「被告人が井上による巧妙な勧めによって、同和団体に対する優遇措置であろうと信じ、そのため決断を誤らせられて井上の勧める方法を選択した」旨認定したことは、自己の刑責を軽減せんとする被告人の弁解にとらわれる余り、証拠の評価を誤ったものと言わざるを得ず、ましてや「被告人の判断の誤りを一方的に避難し難い」とする原判決の認定は、前提事実を誤った独断である、などという。

しかしながら、関係各証拠によれば、本件の共犯者らはもとより被告人が相談した林正税理士らが、多少のニュアンスの差があるにしろ、同和団体を介して税務申告をすれば低い申告額で通る現実を語っており、これを根拠づけるかにみえる「昭和四十三年一月三十日以降大阪国税局長と解同中央本部及び大企連との確認事項」なる書面が存することも認められることなどに照らすと、井上が被告人に説明したとおり、京企連を介する税務申告が場合によっては正規の額より低い申告額であってもこれが見逃されて結果として有利に取り扱われる実情にあったのではないかと疑われるところ、この実態が検察官の主張する「脱税見逃しの優遇措置」の性格を持つものであったとしても、そのような実態を聞き知った納税者としては、税務当局が見逃してくれるならば、その優遇措置を利用して相続税額の負担を減らしたいという誘惑に駆られることも、常人の心情として十分ありうるところであり、そのため、それが脱税と分かりつつも、反対動機が十分に働かなかったという事情は、なお相当の非難は免れないとはいえ、情状として酌量に値しない事情とまではいうことができない。そうすると、原判決が、被告人が判断を誤った経過を指摘して、その誤りを一方的に非難できないと評価したのは、その措辞に適切さを欠くところがあるものの、以上の趣旨を述べたものとして理解することができるのであって、原判決の右判断をもって、所論のように前提事実を誤った独断であると断じることは出来ない。

また、所論は、前記(5)の点に関し、被告人は、井上に五億四〇〇〇万円を預けたものの、その領収書には四億円となっていて、残りの一億四〇〇〇万円については井上から説明がなかったので、四億円の中からさらに手数料が引かれ、納税額が二、三億円に止まるかもしれないと認識していたのであり、また現実の申告額が六〇一五万円余の低額に止まったことを知った際にも、井上らに何ら苦情を述べておらず、その後税務署から何も言って来なかったので、井上らに頼んで良かったと思っていたのであるから、原判決が、被告人はおおむね五億円程度で相続税の申告がなされるものと考えていたとか、極端に低額な六〇一五万円の税額で納税申告がなされる事情を察知していたら、申告の仲介を託するのを断念していたに相違ないなどと認定説示したのは、誤りであると主張する。

確かに、被告人は、前示一に認定したとおり、当初は五億円位が納税額で四〇〇〇万円位が手数料と漠然と考えていたものの、関係各証拠によると、その後、井上から受けとった領収書に「部落解放同盟の同和運動に対するカンパ金として」「一金、四億円也」としか記載されていなかったことが認められ、加えて、被告人の検察官に対する供述調書中には、この領収書を受けとった段階で「私の申告額は四億円より下になる、場合によっては二億とか三億位の申告になるかもしれないと思ったりしました。」との供述記載があることをも併せ考えると、被告人は、その具体的金額はともかく、納税額が当初考えていた五億円よりは少なくなる可能性を認識していたと認めざるを得ない。しかしながら、関係各証拠によると、被告人の右認識は、井上らが「一体いくらで申告してくれるのか不安がありました」という中で考え、しかし頼んだ以上仕方がないとの気持ちとして述べているもので、積極的にそうした低額を容認する気持ちではなく、むしろ危惧の念を抱きながらも結果においてこれを容認していたに過ぎなかったことも併せて認められることに徴すると、原判決の所論指摘のような認定説示はやや不正確との批判は免れないものの、被告人の当初の認識あるいはその後の気持ちを情状の上で考慮したものと理解することができる。次に、関係各証拠によると、被告人は、本件の低額の申告額を知った際、驚きとともに不安に駆られて井上に問い合わせているものの、なるほど所論指摘のとおり、それ以上には井上に苦情を述べたりはしておらず、その後しばらく何事もなく経過したことで、井上らに頼んでよかったと思っていたことも認められるけれども、被告人のこうした事後の態度は、ある程度腹をくくっていた際の消極的容認とその後の安心を表したものに過ぎず、最初から本件のような低額が予想されたのであれば、林税理士の当初の助言ももっと強く被告人を制止したであろうと考えられ、それらにより被告人の方でも、いくら同和団体に対する優遇措置とはいえ、そこまで低額の申告を当局が容認するはずはないと考えた可能性が強いと思われるところからすると、原判決がそのような低額では申告の仲介を託することを断念したに相異違ないと認定説示したことに誤りがあるとまではいうことができない。

さらに所論は、原判決の量刑は、同程度の規模のほ脱事案における裁判例の量刑と比べて著しく軽く、刑の均衡を失している、という。しかしながら、本件と検察官の指摘する他事件とは、脱税額の巨額さ、ほ脱率の高さの点では類似するものもあるが、相続税法違反事案では、脱税の動機、その態様、相続人の立場、共犯者の関与の有無とその態様、事後措置の状況など、また所得税法違反・法人税法違反事案とは事件そのものの性格の違いや再犯の可能性の程度の差があるなど、それぞれに量刑事情や罪質の相異が存するのであり、一概に脱税額とほ脱率を中心に比較することもできないと考えられることからすると、右所論はにわかに採用できない。

以上のとおり、原判決には、本件の量刑にあたり、その情状事実を被告人に過大に有利に認定判断した部分があって、検察官の右各所論もその限りで理由があると認められる。

そして、記録によって認められるその余の諸事情をも総合勘案すると、本件が財産的利欲を動機とする巨額の脱税事案であり、納税の公平維持の観点からも、その刑責は重いというべきであるが、被告人が本件脱税を決意するに至った事情、本件脱税額が被告人において当初予想していた脱税額と大幅に齟齬するに至った経緯、本件後脱税に伴う所定の納税を完遂し、反省していることなどの情状に照らすと、原判決の量刑は、被告人を懲役三年に処したうえでその刑の執行を猶予した点については、これを理由に原判決を破棄しなければならないほど不当であるとはいいがたいが、罰金の額の点で軽きに失し、結局検察官の量刑不当の論旨は理由があるというべきである。

よって、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、更に次のとおり判決する。

原判決が認定した罪となるべき事実に原判決の掲げる各法条(刑種の選択を含む)を適用し、その所定刑期及び金額の範囲内で、さきに認定した諸般の事情に加えて、被告人が反省悔悟の情をさらに深めていることなどを考慮し、被告人を懲役三年及び罰金一億五〇〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、平成七年法律第九一号による改正前の刑法一八条により金二五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予することとする。よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 谷村允裕 裁判官 伊東武是 裁判官 多和田隆史)

平成九年(う)第七三五号 相続税法違反被告事件

控訴趣意書

被告人 古川義信

右被告人に対する頭書被告事件についての被告人の控訴の趣旨は、次のとおりであります。

平成九年一一月七日

右被告人弁護人

弁護士 瀧賢太郎

大阪高等裁判所第二刑事部 御中

一 控訴の趣旨について

平成九年七月三日京都地方裁判所において宣告された被告人に対する原判決の主文は、

『被告人を懲役三年及び罰金一億二、〇〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から五年間右懲役刑の執行を猶予する。』

というものであります。右原判決の主文は、被告人にとって満足のいく内容でありますが、被告人が控訴せざるを得なかった理由は、検察が控訴期限満了直前に原判決に対し控訴をされたことにあります。

何故、被告人が検察による控訴という事態に接して自らも控訴せざるを得なかったかについて申し上げれば、次のとおりであります。

被告人は、原判決は本件の経緯や被告人のかかわり方などの事情を十分に正しく評価した判決であると受け止めておりました。

本件について最も強調されるべき点は、次のとおりであります。すなわち、被告人は共犯者井上悠からの正規の半額の税額で通るとの言葉を信じ、手数料を含め、相続税額約一一億円の約半額の五億四、〇〇〇万円を井上に交付したのであり、被告人は、右交付金額を大幅に下らない五億円程度の税額で申告がなされるものと考えていたところ、仲介者による手数料の搾取が極めて多額となり、僅かに約六、〇〇〇万円という被告人としては到底予想もできない少額の金額で税申告がなされた、という点であり、被告人には詐欺の被害者ともいえる側面を強く有していることであります。

その他にも、被告人が本件の巨額脱税を敢行した目的は、いわゆる利得を目的としたものではなく、父母の残した会社の維持を図るための株式保有を目的としたものであったことや、被告人は一審の結審時までの間に全力を尽くして本件に関するすべての税を完納したこと、更には、右の完納に至る過程において、予期しなかった大きな別件詐欺被害や父母の残した会社からの離職とそれに伴う種々の問題など、極めて大きな精神的打撃や財産的損失を被りながらも、それらに耐え、かつ、解決しながら税金の納入を果たした、という並々ならぬ被告人の苦労があったことなど、被告人に有利な事情が多数存したのであり、本件に対する評価として原判決が不当であることを根拠づける理由は実に見出し難いのであり、それだけに検察による控訴という事態は、被告人にとっては意外のことでありました。

検察が控訴されたことに被告人は大きな不安を抱いたのであります。一審において全力を傾注して真実の姿を裁判所に訴え続けた被告人は、検察による控訴の報に接したとき、検察は一体何を主張するつもりであるのかと戸惑い、控訴審においては検察の主張についての審理が中心に行われ、一審のときのように被告人から積極的に真実を訴えることができなくなるのではないかとおそれたのであります。被告人にとっては、検察の新たな主張に対する反論を行うだけでは不十分ではないか、自ら主体的に主張できる立場に立たないと、原判決の主文を維持するに足る被告人の主張はできなくなるのではないか、とおそれたのであります。

被告人が原判決の主文については十分に納得していたことは事実でありますが、検察の控訴という事態に直面したときに、控訴審では、被告人側から新たな主張ができず、単なる防禦という受身の主張に終わってしまい、不利な立場に立たされるのではないかという危惧を覚え、これを排除したいという気持から、被告人による控訴を決意し、控訴審においても被告人の主張について十分なご考慮を頂きたいと念願したのであります。

二 控訴の理由について

1 右に述べた控訴の趣旨から明らかなように、被告人の真意はたとえ検察がどのような主張・立証をしようとも、本件に対する評価としては原判決の主文が正当であることを強く訴えたいということにあります。そのために、検察が行うであろうすべての主張を踏まえても、なお、原判決が正当であることを維持するために、被告人についての有利な事実を一層明確にしたいと考え、次のとおり、控訴の理由を主張するものであります。

被告人の控訴の理由は、次のとおりであります。

すなわち、本件においては、

<1> まず、被告人の不正行為と相当因果関係のある結果は、「相続税額を約五億円とする内容虚偽の相続税の申告書提出行為」であり、相続税額約五億円の納税行為による逋脱額を上回る「相続税額を六、〇一五万五、八〇〇円とする内容虚偽の相続税の申告書提出行為」は、被告人の不正行為と相当因果関係はなく、本件の構成要件的結果ではない。

<2> 被告人と共犯者井上悠らとの間の共謀関係も「相続税額を約五億円とする内容虚偽の相続税の申告書を提出する」という限度において成立するにとどまる。

<3> 被告人の故意も「相続税額を約五億円とする内容虚偽の相続税の申告書を提出する」との認識の限度にとどまる。

従って、右<1><2><3>に反する事実認定をした原判決には事実誤認があり、その誤認は判決に影響を及ぼすことは明らかであります。すなわち、原判決の事実認定が、右のとおり改められたときには、原判決の主文が更に被告人に有利に改められることも十分にあり得ることであります。

これが、被告人による控訴の理由であります。

2 被告人が主張するのは、逋脱税額の量についての錯誤(故意に関する概括認識説か個別認識説か)を問題としようとするものではなく、それ以前の問題として、そもそも、被告人の不正行為と被告人の認識し得た約六億円の逋脱額を超える部分の逋脱結果との間には相当因果関係がないことを主張するものであります。

この点に関する被告人の主張は、一審における被告人の冒頭陳述書においても、更に弁論要旨においても主張しております。

3 本件の事実関係は、次のとおりであります。

すなわち、被告人は共犯者井上悠から「私の知っているところに頼むと、普通の税理士さんの申告する約半分の金額でしてあげます」「京企連を通すと半分で済むのです」「手数料込みで五億四、〇〇〇万円でよいですよ」と言われ、被告人は、現金と小切手で五億四、〇〇〇万円を井上に交付したのであります。

ところが、共犯者井上は、被告人から預かった五億四、〇〇〇万円の中から被告人の不知に乗じて一億四、〇〇〇万円を秘かに領得し、更に被告人の不知に乗じて坂井との共謀により、更に残金の中から一億円を領得した上、坂井・青木・松島・大野らにおいても手数料名下に残金の中から金員を領得し、残ったのは約六、〇〇〇万円というわずかな金額となり、これが申告額となったのであります。

被告人と共犯者井上との間の不正行為に関する共謀事実と相当因果関係の範囲にある手数料の額は、約四、〇〇〇万円とみるべきであります。共犯者井上らが、約四、〇〇〇万円の手数料の範囲を越え、被告人の不知に乗じて約四億四、〇〇〇万円もの金を領得したことは、被告人を被害者とする詐欺行為により騙取したとみるべきものであります。すなわち、井上は、事実は自己及び共犯者の手により、被告人から預かる五億四、〇〇〇万円の大半の金員を手数料名下に騙取するつもりであるのに、その情を秘し、あたかも正当税額の半額である約五億円を納税するかのように装い、「私の知っているところに頼むと、普通の税理士さんの申告する約半分の金額で納税してあげる。手数料込みで約五億四、〇〇〇万円でよいですよ。」などと申し向けてその旨誤認させ、約四億四、〇〇〇万円を騙取した、と評価できる犯罪行為が行われたのであります。従って、被告人による不正行為と被告人が被害者となる井上らによる右約四億四、〇〇〇万円の騙取行為の間には、そもそも因果関係は存在しないのであります。被告人としては、井上らに手数料として取られる額はせいぜい四、〇〇〇万円ほどであろうと信じたことは、一般人の立場でも相当と考えられるのでありますから、井上らにより領得された四億八、〇〇〇万円から四、〇〇〇万円を除いた四億四、〇〇〇万円についての井上・坂井らによる騙取行為は、被告人を被害者とする詐欺行為でありますから、被告人により不法行為との間に因果関係が存在しないのであります。

4 井上らによる騙取金額が被告人の不正行為との間に相当因果関係がないことは、被告人による不正行為の認識の曖昧さという事実によっても、なお一層裏付けられるのであります。

そもそも、被告人には、本件がいかなる内容の不正行為により税を免れるかについての認識は極めて曖昧でありました。共犯者井上からは何故に税額が半額となるのか、どのような理由により半額になるのかについては一切説明を受けないまま、五億四、〇〇〇万円の金を井上に託したのであり、被告人には井上らによる不正行為の内容についての確定的な認識は全くなかったのであります。

被告人の検察官調書には、税額を半額にする方法として、相続財産の一部除外、あるいは、不動産や株式などの資産評価を下げること、更には、架空の借金を作ることの三つの方法しかなく、被告人としては、これらのうち、いずれかの方法をとったり、三つの方法を取りまぜたりして安い税額で申告してくれると思っていた、との趣旨の供述があります。

しかし、一審の弁論要旨においても述べたように、被告人には本件犯行当時これだけの認識をもっていたとは到底認められず、このような供述部分は捜査官の説明を聞いて被告人が初めて知り得たことを述べたものであります。特に、相続財産の一部除外という方法は、被告人が井上に対し、「田中ツユの財産がいくらあったかは左京税務署はしべて知っています。それでも税額を半分にできるのか」話したことや、平成六年三月の被告人の確定申告のときに、相続財産をすべて明らかにした申告をしていることに照らすと、被告人には、本件犯行当時、相続財産の一部を除外する方法により税額を半分にしようという意思はなかったのであり、また、井上らがよもやその方法をとるなどとは全く思っていなかったのであります。

従って、検察官調書に述べられたように、「三つの方法のいずれか」を使うとか「三つの方法を取りまぜる」ということも被告人の認識には出てこないのであり、そもそも、右の被告人調書の信用性に疑いが生じるのであります。

本件相続税の申告書において取られた方法は、相続財産の大半を除外する方法でありますが、被告人には共犯者井上との共謀において右の方法による「不正行為」の認識が形成されたといえるかについてもそもそも疑問であります。

このように、被告人の認識には一義的に確定できる不正行為の認識があったことは認定できないのであります。被告人が井上に五億四、〇〇〇万円という大金を託したのは「不正行為」の実現のため、というより「同和団体に対する優遇措置による節税」の実現のためという意識が強かったからであります。

被告人の認識には、井上らによる脱税の具体的方法が「相続財産の一部除外」か「不動産・株式の資産評価を下げること」か、「架空の借金を作ること」かについて一義的に確定できる不正行為の認識はなく、むしろ、このような違法な方法を伴わない「同和団体に対する優遇措置による節税」という認識が強かったのでありますから、五億四、〇〇〇万円という大金をいとも簡単に井上に託したのであり、同時にそれに要する手数料としては、井上の他に京企連にも支払わなければならないとしても、総額でせいぜい四、〇〇〇万円ぐらいのまともな金額であろうと信じたことは、むしろ相当なことというべきであります。

5 右の述べたとおり、「被告人にとって詐欺被害というべき四億四、〇〇〇万円の金が相続税納付に使われなかった」という事実は、被告人の不正行為との間に相当因果関係はないというべきであります。

従って、被告人の不正行為による逋脱行為は「相続税額を約五億円とする内容虚偽の相続税の申告書提出行為」にとどまるものであり、被告人と井上らとの共謀関係も「相続税額を約五億円とする内容虚偽の相続税の申告書を提出する」という限度において成立するものであり、被告人の故意も「相続税額を約五億円とする内容虚偽の相続税の申告書を提出する」という認識しかないのであります。

三 以上のとおり、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があるので、控訴を申立てる次第であります。

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